2024年Sセメスター(春夏学期)に履修した授業の中で、「社会心理学」はおもしろかった授業のひとつ。授業で取り扱った概念を自分の周りで起こるものごとや状況に当てはめることができるので、理解がしやすかったです。
それとは別に「芸術学概論」の講義で、芸術家の自己マーケティングの話が出てきた際のこと。社会心理学で学んだ自尊心や認知的不協和の理論を使って、芸術家による芸術家批判、または芸術批判を説明できるのではないかなと考えました。
自分用メモとして、この話題について書いてみたいと思います。
なお、この記事は特定の芸術家に対するネガティブな意味の批判ではありません。社会心理学で学んだことを実践して考えてみようということ以外に特別な意図はないので、芸術家をディスるなー!と誤読しないでね。
芸術家がある芸術や芸術家を批判すること
芸術家が自分とは異なる芸術や芸術家を批判することがあると思います。少なくとも私はそういった場面を経験したことがあります。
どのような芸術、芸術家が批判されるのかについて確定させることはできないけど、ひとつの例として挙げられるのは、新進気鋭の芸術や大衆人気の芸術が批判の対象になるケース。
「あれは芸術ではない」
「あれは本物ではない」
という批判がつくことがあるのではないか?
今回取り上げるのは、同じ芸術家という職業(地位)にある人から、別の芸術家や芸術に対して向けられる批判の根底にある心理を考察してみます。
エリート主義
他の芸術家や他の芸術家による作品を批判する心理の根底にある一つは、エリート主義。
自身の芸術は真、本質的であり、大衆人気の作品や新進気鋭の作品は劣っているという考え、意識によるものです。
自分は優秀で他の人より能力がある、自分は選ばれた芸術家だという意識によるものなのか。排他的な考えがあるように思います。
認知的不協和
もう一つは、認知的不協和。
社会心理学の講義を聞いて、認知的不協和は日常生活の至るところにあるなと思ったのですが、わかりやすい例でよく出てくるのが喫煙者の矛盾する心理や買い物の心理。
タバコは健康に悪いという考えと、それでもタバコを吸いたくなる気持ちの間に不協和が起こり、その不協和を解消するために「タバコを吸うとストレス発散できる」と前向きに捉えたり、「タバコと健康被害の因果関係は不明瞭」と健康に悪いという考えを却下したりする。
高価なAという製品を買った翌日、まったく同じ機能の他社製品Bが発売になった。すでに製品Aを買っているという事実と、実は製品Bの方が良かったかもという考えの間に不協和が起こり、その不協和を解消するために「Aの方がいい製品に違いない」と自分の購入を正当化する。
この認知的不協和を芸術家による芸術作品批判に当てはめて考えてみるとこんな感じ。
芸術は本質的であるべきだという考えと、実は自分も大衆に認められたいという欲求の間に不協和が起こり、その不協和を解消するために「あれは芸術ではない」と大衆人気の芸術を批判することで自分に折り合いをつけている。
臆病な自尊心
臆病な自尊心とは、自身の芸術を高く評価している、または高い評価を受けているにも関わらず、他人から自身の芸術を否定されることを極度に恐れるようなこと。
他人から批判されることで自分の価値が脅かされるように感じるから、防衛として行動を制限することにつながる。
自分の芸術は価値が高いから多くの人から認められるはずなのに、否定されることを恐れて自分から大衆にアピールしたりすることができないという行動の制限が起きる。
社会心理学の視点から見た芸術家による他人の芸術批判
芸術家による他者の芸術、または他の芸術家批判の根底にある心理を考えてみました。
複数の心理や状況が合わさった上で物事は起こっていると思うので、ここに挙げた以外にもさまざまな要因が考えられると思います。ひとまずはSセメに学んだことを当てはめてみたという感じ。
社会心理学では日常生活で起こることを実践的に捉えることができるので、心理学に馴染みがない私でも前のめりで聞けた授業でした。概論の授業だったので余計にね。学び進めると、実際の心理学は数字とか統計、グラフが多くて理解が大変だと思うけどね。
こんな感じで、自分で対象を見つけて考察するという行為を継続的にやっていきたいな。
最後まで読んでくれてありがとう。
Hasta luegui!!!
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