長らく疑問だったことがあります。それは、
ブレリアを踊る時に「歌を聴く」とはどういうことか。
スペインで色々な先生にブレリアを習って、何となく見えてきた道があるので現時点での自分の解釈を記しておこうと思います。
ブレリアを踊る時は歌を聴け!
「ブレリアを踊る時は歌を聴かなければならない」
そう言われて、ブレリア恐怖症になった人は少なくないと思います。私はそうでした。
特に「これはダメ」「そこじゃない」「ここが正しい」みたいな答え合わせ的ブレリアを習うと、”正解”とされているものがわからない時に戸惑ってしまう。
そして、カンテ絶対主義的な考えが頭にあると、
- 踊り手は常にカンテに合わせなければならない
- いろいろなカンテを覚えなければならない
- 歌の終わりにレマーテをしなければいけない
と壮大な壁が目の前に立ちはだかり、
という事態に陥ります。
以前の私は「カンテを聴く=カンテに合わせて踊らなければならない」と、ガチガチの頭になっていました。
だから、知らないカンテが来ると何をすれば良いかわからない、常に「レマーテはここでいいの?」と手探りしてるような状態でした。
歌の終わりのレマーテ絶対説はない
そんな迷えるかわいい子羊だった私(ツッコミは受け付けません)が、必ずしも踊り手が絶対的に歌に合わせなければならないわけではないのではないか?と最初に感じたのは、日本でミゲル・アンヘル・エレディアのクラスを受けまくっていた時です。
クラスでは振り付けをもらい、その振り付けに合わせてミゲルが歌うのですが、踊り手がコンパスさえしっかり守っていれば、どんな振り付けでもミゲルは歌い続けるのです。
「必ずしも歌の終わりに合わせてレマーテをしなくてもいいんだ」
この考えが自然にすっと入ったのは、ミゲルのブレリアクラスを何度も受けて、ミゲルの歌に合わせてブレリアを踊ってくうちに何となくそう感じたから。
その後、スペインに来てセビリアでブレリアのクラス(特にフィエスタクラス)をいくつか受けて、「歌の終わりに合わせてレマーテしなきゃいけない説」は気にしなくていいのだなとさらに感じるようになりました。
フィエスタの達人とも言えるアーティストたちは、踊り手の出方に合わせていかようにもカンテで対応してくれる。
歌の終わりに踊りのレマーテが来なくても、歌い手が踊りのレマーテに合わせてくれると言えばいいのかな?まるで踊り手のやりたいことを汲み取ってくれるかのように歌を歌ってくれるのです。
日本で受けたミゲルのクラスで感じたこと、そしてセビリアのクラスで学んだことを通して、「歌の終わりに合わせてレマーテしなきゃいけない説」は私の中で消え去りました。
ブレリアを踊る時は歌を聴きすぎるな!
先日受けたフィエスタクラスでは「歌を聴きすぎるべからず!」というアドバイスがありました。
歌を聴きすぎて「ここでレマーテしなきゃ」「歌の終わりを聴かなきゃ」と、頭で考えて踊らなくていいから。
同じように言う先生は他にもいました。
以前は歌が絶対的王者として君臨していて、踊りはそれに必ず合わせなければいけないのだと思っていました。
でもそれは違った。
ブレリアを踊る時は歌に踊りが付いていくのではなく、踊りに歌が付いてきてくれるのだとようやくわかりました。
歌を聴くとはどういうこと?
では、歌を全く聴かずに自由に踊っていいのかと言うと、そうではないと私は思います。
歌を理解し、歌に敬意を持つことはもちろん必要。それは大前提のお話と前置きした上で。
ブレリアのクラスで「歌を聴け。カンテを聴け。」と言われるのは、歌が聴ければ踊り手と歌い手が双方にコミュニケーションを取ることができるから。
以前は、どうしても振り付けを歌に当てはめようとしていました。
しかし、歌のこの部分でこのパソ!という答え探しをしているわけではない。コンパスが合っていれば、ブレリアを踊るのに正解はない。
振り付けをなぞることは意味がないのだなとようやく気付いたのは、最近のような気がします。
ブレリアのすべての歌を知ることは難しいですが、日々いろんな歌を聴いていると、知らない歌であってもなんとなく体が反応してくれることがあります。
「歌を聴く」ことを重ねると、徐々に自然な反応ができるようになっていくのではないかなと。それがブレリアを踊るということなのではないかなと今は感じています。
歌を聴いて自然なブレリアを踊りたい
セビリアやヘレスで、歌と楽しくブレリアを踊る人たちを見ると、ブレリアは思っていたより自由なものなんだなと感じます。
生まれた時からフラメンコに触れている人は、自然に歌を聴いて自然に反応している。
ブレリアを踊りたいから歌を聴くのではなくて、歌を聴いたら自然に踊りの反応が出るのがブレリア。
そんなイメージを今は持っています。
最後まで読んでくれてありがとう。
Hasta luegui!!!
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