先日、無料で日本の映画が見られる日があるというので、映画観賞に行ってきました。
見た映画は松田龍平主演の「モヒカン故郷に帰る」です。東京でバンドマンをしている男性が故郷へ帰って家族と6年ぶりに過ごすというハートフルコメディ。
スペインでスペイン人たちと映画を一緒に観て、外国映画を理解するということは思っている以上に大変なのかもしれないと感じました。そのことについて触れたいと思います。
セリフと字幕の違い
はじめに感じたのはセリフと字幕の違いについて。言語に対する表現や考え方。
私がハリウッド映画を見るとしたら、字幕付きか吹き替え版でないと理解ができません。
同じように、スペイン人が日本の映画を見るとしたら当然スペイン語の字幕か吹き替えが必要。今回の「モヒカン故郷に帰る」はスペイン語字幕です。
私はスペイン語を勉強中なので、映画の中で登場人物のセリフ(日本語)と字幕(スペイン語)のどちらも見聞きしながら観賞しました。
日本語のこの表現はスペイン語でこう訳すのだなと、勉強になった部分があって面白かった!
反対に、字幕は意訳になってしまうのはしょうがないと思いつつも、日本語の感覚がうまくスペイン語で表現されていないのではないかなと感じた場面がいくつかありました。
笑うような場面ではないのに、客席から笑いの声が出たりしたのは、訳のニュアンスが少し違うからかなと思ったり。1回目は敬語で2回目はタメ口な場面はスペイン語では同じ字幕だから、話し方から感じ取るしかないのかなとか。
私はこれまで何も気にせずに字幕や吹き替え版で外国の映画を見てきて、もしかしたら元々のニュアンスを理解してなかったかもしれない。それはちょっと悲しい。
映画をきちんと理解するには、まずその国の言語を理解することから始めなければいけないのかもなと思った次第です。
国の文化が反映される映画の理解
言語と合わせてもう一つ大切だなと思ったのは、映画の舞台となっている国の文化の理解です。
今回観た「モヒカン故郷に帰る」に関しては、矢沢永吉が超重要な人物として描かれています。
有名なロックアーティストだということは映画を観ていく過程でわかると思いますが、矢沢永吉の偉大さがわからないと、主人公の親(柄本明)の強い思いを理解した上で映画を観進めることが難しいのではないかなと思いました。
柄本明演じる主人公の親は、矢沢永吉へのとても強い熱量を持っています。それが映画のスパイスでもあり、序盤の親子のシーンでも生きてくる。
「矢沢永吉とはどのような存在なのか」を知らないと、その熱量は別の方向にいってしまう気がしました。
その国の文化を知っているということは言語理解よりもさらに難しいことでありながら、映画を理解するにはほぼ必須です。
特に今回観た「モヒカン故郷に帰る」のような日常を描いていく映画は、登場人物が発する言葉や動作に対する暗黙の理解が映画と観客の中にある。それが映画の面白さや核でもあったりするから、そこがわからないとただ淡々と過ぎる映画に見えてしまうかもしれません。
映画の感想としてスペイン人の友達が「予見できすぎる内容で2時間は長いと思った」と言っていました。確かに話の流れは予見できるものだけど、その中で起こる親子のやり取りにジンときたり笑ったりするのが面白いのに!
で、「YAZAWAのことは知ってた?」って聞いたら「YAZAWAってなに?」と返ってきた。あぁなんということだ!YAZAWAの存在がないスパイスなしの映画になってしまったのだろうか。
私はこれまで外国の映画を観てきて、確かによくわからないなと思うシーンがあることを思い出しました。それは、その国の文化に対する私の理解不足なのかもしれません。いや、きっとそうなのだろうと思います。
「モヒカン故郷に帰る」の私の感想
さて、スペインで日本の映画を観て感じたことはつらつらと書いたので、ようやっと「モヒカン故郷に帰る」の個人的な感想にうつりたいと思います。
ちなみに私は映画フリークではなく、映画レビューもほとんどしないので、お手柔らかに見てください。ネタバレしないように気をつけますが、嫌な人は読み飛ばしてね。
「モヒカン故郷に帰る」は個人的に好きなタイプの映画です。ゆるい雰囲気とハートフルな内容をコメディを交えながら進めていく話。
出演者は主人公の松田龍平、父親役の柄本明、母親役のもたいまさこなど、実力派が揃っています。美保純も出演時間が少ないにも関わらず、強烈な印象を残していきました。
そんな実力派の中にいる、素人っぽさ満載な前田敦子が結構良かった。ああいう女の子いるよね的な普通の女の子感が出ていて。
同じセリフを何度か使う手法で、面白さとセリフの重要さをわからせてくれます。「帰れ」というセリフは本音か建前か、どちらとも解釈できる流れも面白かったです。
主人公の父親の矢沢永吉好き度がどれくらいか、それはストーリーが進むにつれて濃厚さを増して明らかになっていく。矢沢永吉の存在が父親にとっていかに特別で、大切な息子への思いにつながるのか。最後はジンときてしまいました。
スペイン語だけで映画を観賞できるようになりたい
単に日本の映画が無料で観られる!わーい的なノリで観に行った映画ですが、言語や文化理解の必要性を含めいろいろ感じるきっかけになりました。
日本の映画でさえ解釈が分かれたりすることがあるから、外国の映画を観ることはもっとハードルが高いことなのだろうと思います。
私は字幕や吹き替えがないスペイン語の映画を観ると、頭が追いつかないことがまだあり。
スペインの文化を理解した上で、スペイン語だけで映画観賞できるようになる日はまだ遠いかな…。
最後まで読んでくれてありがとう。
Hasta luegui!!!
コメント
コメント一覧 (2件)
¡Hola!
moniさん、はじめまして。いつも楽しく拝読させていただいております。
私もmoniさんと同じ場所、時間で「モヒカン故郷へ帰る」をスペイン人の友人と見てました。
まだまだ、スペイン語が未熟な為、日本語で聞いて、スペイン語訳を見て勉強しています
(勉強になっているのかわかりませんが。)
それよりも、友人へ日本文化・習慣・言葉の意味を映画の後に説明する方がよっぽど勉強になりますが。
確かに、映画を見ていて、矢沢永吉の件は、うまく伝わっているのかな?と思うところでした。
それよりも、死の直前の生活をユーモア交えて描かれていますが、そのユーモアがどうもよく、
友人には伝わらなかったようで、感想を聞いたら、悲しい話で好きではないと言われました・・・。
確かに、あのシュールな世界は伝わりにくいかな?と思いました。
父親が病名に気づくシーンで、隣のベットから鐘の音でyes,noを示すシーンなんて、日本人の私しか笑ってなかったです。
言語でもなんと説明したらいいものか・・・というセリフがありました。
前田敦子さんが電話に出て応答するとき、
受話器を取って「はい、○○です」というセリフがありました。
確か、その時字幕は”Hola”でした。その後、友人は、Holaは「はい」というのか?と質問してきました。
うーん、あの「はい」は”digame”もしくは”diga”だよ、。と説明したのですが、
その後、自分の中で、では、「もしもし」はなんと言えばいいのか・・・・と自問してしまいました。
言葉や文化の説明って難しいです。
それを仕事としている語学学校の先生はすごいなと思いました。
ちなみに、今日は、同じ場所で「雨月物語」を見てきました。こちらも説明がとても難しかったです。
長文失礼しました。
ブログ、楽しみにしています。
苦痛にならない程度に頑張ってくださいね。
> Seiko様
ブログ読んでいただきありがとうございます。
同じ映画を同じ場所で見ていたなんて!確実にすれ違っていたのでしょうね…!
かなりコメディタッチ寄りに描かれていた映画だったのに「悲しい話」という感想になるとは、全然感覚が違いますね〜。家族との関わり方も文化的な違いの一つだと思うので、いろいろと理解しがたい部分は多かったかもしれないですね。
父親の病名に気がつくシーン、確かにコミカルに表現されてましたね(^^)そのお友達にはあのシーンも悲しいシーンに見えていたのでしょうか。
しばらく日本の映画をCICUSでやってくれるみたいですね。「雨月物語」は日本語で見ても難しそうな…事前にあらすじ大枠を説明した方が見やすいかもしれないですね。
また、お時間のあるときにブログ覗きにきてください(^^)
自分の考えを文章にするのは好きな方ですが、日本語の表現力の乏しさを感じる日々です…汗。