官能が駆動する芸術・芸能

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たまたま同じ時期に「性的」「官能的」がキーワードになる、異なる事象を論じた本を読んだので、横断的にこのキーワードについて考えてみたいと思います。

ひとつは前回のポストでもご紹介した『盆踊り 乱交の民俗学』で、「性的共感が民俗芸能を創り上げてきた」という主張を日本の乱交の歴史から論じていくもの。

もうひとつは、『読書する女たち 十八世紀フランス文学から』で、18世紀のヨーロッパにおける女性の読書という事象をとおして、美徳と堕落を論じたもの。

どちらも、性的な興奮や官能性が芸術・芸能を進化させていることを示唆していると思いました。人が性的なものによって刺激を受けることが、どのように芸術や芸能の発展とかかわっていくのか。

ただ、そのような性的なキーワードって話題にするのがはばかられからなのか、大々的に論じられているケースは少ないのかもしれません。よりスマートな他のキーワードの裏に隠されちゃったりとか。

そういう意味で、この二冊はユニークな視点から芸術・芸能のある側面を捉えている本とも言えるかもしれません。「官能」というキーワードで芸術的な事象を見てみるとおもしろいかも、ということで今回のポストを書いてみます。

目次

盆踊りは乱交だった

や夜這いといった日本の文化までさかのぼり、性的な共感や興奮がのちの盆踊りにつながる日本の民俗芸能を支えてきたこと、

一方で、品行方正なイメージを乱すということから、日本のそのような文化が芸能・芸術に影響を与えてきたことは無視されてきたのだと下川さんは述べています(下川, pp.13-16)。たとえば、現代の盆踊りにおいて、男女が入り乱れて踊るもの、目配せをして相手に性的な魅力を伝えるもの、というイメージをもつ人はそう多くないと思います。どちらかというと地域コミュニティ、ふるさとなどの帰属意識につながるものとして捉えられているのではないでしょうか。

これは明治時代にアメリカが日本にやってきた際に、日本の性に対する価値観が変容したことと関係があるとされています。このときに、盆踊りは風紀を乱すとして全国的に禁止されました。男女が性的な欲求を満たす踊りとしての官能性みたいなものが、江戸時代から移行したばかりの明治時代にはまだあったからですね。

一時期禁止されていた盆踊りですが、大正デモクラシーの波に乗って復興の動きが見えてきます。ただし、以前のような性的な共感を得る踊りとしてではなく、健全な踊りとして。この復興のときに、盆踊りは解体されて生まれ変わったのです。

以降、盆踊りは戦争のプロパガンダに利用されたり、戦後の雰囲気を活気づけるものとなったり、団地の結束を高めるものになったりして、現在のような地域アイデンティティと結びつくものになっていったようです。今では日本の中の地元意識というより、日本と結びつくものと認識されてるかもしれないですね。

私の地元にはあまり大きなお祭りや伝統的なイベントがなかったので、盆踊りと地元が結びつくという感覚はあまりありませんが、夏の風物詩だなと思いますし、盆踊りが盛んな地域、特に郡上おどりには興味があります。『盆踊り 乱交の民俗学』を読んで、黒いをかぶって踊るという秋田の踊りもぜひ見てみたいと思いました。

とにもかくにも、「性的共感」があったからこそ、『万葉集』の時代の歌の送り合いから、一遍上人の狂気の踊り念仏、風流踊りを経て盆踊りまで進化したわけです。この官能性が現代の盆踊りにも生きていると考えると、盆踊りを見たり踊ったりする体験そのものも変わりそう。

参考文献
下川耿史『盆踊り 乱交の民俗学』作品社、2011年

官能的な女性の読書

もう一つの本は、宇野木めぐみ『読書する女たち 十八世紀フランス文学から』です。2025年Aセメで聴講していた美学概論という授業のなかでロマン主義の話が出てきたときに紹介されていて、興味をもちました。

18世紀のヨーロッパでは識字率が上がったことや、女性への教育の変化もあり、徐々に女性が本を読むようになった。本を読む女性が描かれた絵画があるし、小説の中に女性が本を読む描写が出てきたりと、読書する女性がテーマの作品も生まれた。

そのような作品で読書する女性がどのように描かれているかというと、絵画では読書によって官能的なものに触れて刺激されたかのような女性の姿が描かれたり、小説では登場人物が官能的な読書をする姿が描写されていたりするのだそう。当時の男性にとって読書は教養を示すものであったのに対し、女性の読書は私的なものであったのです。

女性にとって読書は教養の獲得とは結びついていなかったので、特に若い女性が小説を読むことは有害であるとされていたそうです。なぜかというと、恋愛物語を読むことで主人公に感情移入したり、妻の不貞など大人の事情を知ってしまったりと、つまり官能の世界に触れてしまうことになるので、まだ世間慣れしていない女性が読むには刺激が強かったということですね。

宇野木さんは、女性の読書は「美徳と堕落」であり、道徳的基準線に結び付けられていたと言います(宇野木, p.26)。小説ごとに異なった形で提示される貞操という美徳、それを踏まえて読むことができるなら、女性にとって読書は教訓になるものでもあったのです。

読書が官能的な描写や感情をおこすものであるとすると、表紙で閉じられた本というものは、当時の女性たちにとってどれだけ魅惑的なものであったのでしょう。玉手箱のような、開けたいけど開けていいのか、本がそんなものに思えてきました。

参考文献
宇野木めぐみ『読書する女たち 十八世紀フランス文学から』藤原書店、2017年

官能と芸術・芸能の関係

性的なものは、なんとなく触れてはいけないもののように感じることもある。だから下川さんが言うように、実際は日本の伝統芸能を支えてきた感性であると思われるのにもかかわらず、蓋がされてきたのかもしれません。

しかし、一旦その偏見的なものを脱ぎ捨ててみる。

そのようにして「性的なもの」や「官能」というキーワードで芸術や芸能を見つめてみると、新たな気づきがあるのかもしれないと思ったのでした。

「性的」と「官能的」は厳密には異なるもののような気がするので、その違いも紐解く必要がありそう。

自分の研究につながるか否かは今の時点でまったくわからないけど、自分的には少し気になったキーワードです。

最後まで読んでくれてありがとう。
Hasta luegui!!!

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この記事を書いた人

スペイン語とスペイン文化+αを学ぶため会社を退職して2015年〜2021年までスペインのセビージャ暮らし▷2024年東京大学文学部の3年次に編入。学士入学。現在は美学芸術学専修の4年生。好きな言葉は「我々は無理をしない」のふなっしー推しなっし。多言語学習中。このブログについての詳細はこちら

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